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「下山の思想」の読書メモを公開しよう

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今日は、読了本の読書メモを少しづつ公開していこう - #garagekidztweetz で告知している、溜まっている読書メモの公開 9 冊目、「下山の思想」の読書メモを公開します。
※何気にこうやって読書メモを公開していく中でまた新たに読了本が増えているのですが、まあ、また追々それらは別で読書メモを公開していきます。

まずはじめに

未曽有の時代
経済だけではない
私たちは未曽有の時代に直面しながらもなすすべもなく、ほとんど傍観しているのではないか

東日本大震災と福島の事故は大きなショックだった
しかし、今では復興と除染がもっぱらの話題
放射能の深刻な事態をしりつつそれが社会全体の持続したテーマにならないのはなぜか?

福島原発による魚介類の汚染は深刻
それでも気にしない人がおおく見えるのはなぜか?

すでにこの国が病んでおり、急激に崩壊へと向かい続けていることを肌で感じているからではないか?
:悲観的に過ぎると思うが。

明日のことを考えない。考えるのに耐えられないから。
しかし、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。

民という言葉
漢字源
目を針で指す様を描いたもので、目を針で突いて見えなくした奴隷をあらわす。…物の分からない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる
→だから民という言葉が嫌い。人民も民主主義という言葉も。

いま下山の時代に

▶ 下るという大事なプロセス


目に釘を打って見えなくする

民主主義と君主主義
君主主義から民主主義への移行のかたちには、上から下へという動きがある

下るという言葉にあるマイナスのイメージ

下山という言葉に関心をもつ

上昇するということは集中するということ
これまでこの国は集中することで成長してきた

登山、文字通り頂上をめざすこと
しかし、登山という行為は頂上をきわめただけで完結するわけではない
山頂に達すると次は下りなくてはならない
頂上を極めた至福の時間に永遠に止まってはいられない

登山して下山する
それが山に登るということの総体

この下山こそが登山のもっとも大事な局面であると思われてならないのだ

▶ 下山しながら見えるもの

登山、自然と人間との壮絶な闘い
不易流行

登山は変わった
なんだか高齢者のかたがたばかり

下山の中に登山の本質を見いだす

▶ 日は堂々と西へ沈む

下山の時代、言い換えれば成熟期
戦後の半世紀は、成長期

私たちは時代の中に生き、そして死んでいく

自分の来し方、行く末を、あれこれ思ったりもするだろう
私たちはいまどこにいるのか、行く先はどこなのか、冷静につかんでおく必要がある

朝日と夕日とどちらが優れているのかなどという議論に意味がない

私たちは山頂をきわめた。そして、下山の過程にさしかかった。そして、突然、激しい大雪崩に襲われた

▶ 新しい物差しをもって

私たちは立ち上がらなければならない。新しい目標にむかって。

少年よ、大志を抱け
クラーク先生
神の御前に、それにふさわしい生き方をしめせ

無理をしない
日本の人口は世界人口の60分の1
したがってなんでも60分の1でいいのではないか? ー養老孟司

私たちは頂を目指し、相当な無理を重ねてきた

経済指標とはことなる物差し
落ち着いて下山のプランを練り直す

▶ 残された者の歩きかた

生き残ってすみませんという気持ち

うしろめたさ
それは自己を正当化できる感情ではない
生き残ったことすら偶然である
しかし、生き残ったことは、決して誇れることではない

▶ 第二の敗戦を生きる

生き残ったこと自体がそもそも大きな借金を抱えたような気がするのである

この国は二度目の敗戦を迎えたのではないか
国対国ではない別の戦いに敗れようとしているのではないか

活性化することと同時に、大きな災害の責任をきちんと問うということも同時に必要なのではないか

問題は白か黒かではない。
両方とも大事なのだ。
最後は二者択一、しかし、最初から、または途中から一方を選ぶと決めてはならない

新しい不機嫌な時代
57

▶ 成熟のとき

山に登る
3つの要素
1. 山に登る
2. 山頂を極めること
3. 下山すること
それぞれ切り離しがたく結びついている

下山するということは、決して登ることとくらべて価値のないことではない
文化は下山の時代にこそ成熟するといえないだろうか

実りある下山の時代を見事に終えてこそ、新しい登山へのチャレンジもある
下山の覚悟のなかから、新しい展望が開ける

▶ 変化はゆるやかに

偏った先入観
時代の変化が一朝にしておこると思っている点

ローマは一日にしてならず
と同様、ローマは一日にして滅びず

下山の時代が始まったからといって、世の中がいっせいに下降しはじめるわけではない
長い時間をかけて下山が進行していくのだ

登山するときと下山するときでは、歩き方が違う、心構えが違う、重心の掛け方が違う

下山する人々

▶ 法然とフランチェスコ

どちらもハーフ ー68

既存の宗教権力に対する姿勢
他の立場の違う宗派、協会を決して攻撃したり非難しなかった
視線はまっすぐ大衆を向いていた

▶ 平安末期に流行した今様

よろずの仏にうとまれた者をこそ、抱きしめる唯一の仏がある
それが阿弥陀如来だ

▶ 裁きと許し
▶ 修行、善行を不要とした法然

著作のなかでは過激
選択本願念仏集

▶ 暮らしのなかのニヒリズム

我々は溢れる情報の中から、なるほどと納得できるものを選んで日々の暮らしに使う
一方で、これまでの常識と信じられてきたことが、一夜で覆されたりする

明日のことなどわからない
自信をもって予言するなど、天を恐れぬ仕業としかいいようがない

▶ 不安と不信の世の中で

あらゆる意見は仮説である
情報には必ずバイアスがかかっている

不安に満ちた時代である。日々の暮らしの中で、どう暮らせばいいのか、どう行動するべきか、全然はっきりした答えが見つからない。
で、どうする?

▶ 当たり前が変わるとき
▶ 前向きが無力なときは

思考と志向の違い

あるひとつの目標がある
方向が一定していてブレない、それが志向

思考というと、それよりややカジュアルになる。軽い印象。

しかし、重ければよいという時代はすぎた気がする

努力が苦手に生まれついた人間は、どう生きればよいのか?

▶ 人間にわかっていることはほんの一部

最近、耳に残って消えない言葉
1. 想定外
2. ただちに

学問や理論は、決して現実的な判断ではないのである
わかっていることは現実世界のほんの一部である

▶ 黒でもなく白でもなく

オオカミ社会
昔と違うのは、実際にオオカミが出現することである

すべてにおいて、二分法は通用しなくなっている
資本主義でたり、社会主義
統制経済社会であり、完全な自由市場
デフレの一方でインフレ

▶ 二分法はやさしい

白黒で判断する世界はすでに失われているのである

いま死と病を考える

▶ この世で絶対的な真実

養生に貯金なし
記憶に貯金なし

実際に死が視界に入ってきてから、あわてて死について考え始めるのでは遅いのではないか

人間は自らが欲するものしか見えない
私たちは生を望む
死は遠くにあるほうが望ましい
私たちは未来を見通すことのできない愚かな存在なのだ
ちょっと冷静に考えれば、おのずと見えてくる真実から、あえて目をそらそうとする心の働きを持つ

▶ 病人大国日本の憂鬱

自殺者の数
三万人以上の自殺者
12年連続

実感には科学的根拠はない
したがって説得力をもたない
実感だけで行動する人間は失敗しがちである

いくら科学的、数理的に予測しても現実には意味がない
世の中には偶然がある

現実は常に理論を裏切り続けるのである

▶ 病をかかえていきるということ

四苦
生、病、老、死
孤独、愛憎

人間はいずれみずから世を去るときを選択しなければならないのではないか
それを自分で決め、周囲にも理解されて、穏やかに別れを告げる習慣が定着する時代を想像すると、なんとなく憂鬱な気がしないでもない

▶ がんは健康な細胞と同居する

あくまで対処法
→清濁併せ呑む方法

早期発見、早期治療
124

▶ 見えない死者たち

自殺原因の分析
圧倒的に多いのは健康問題
病気で悩んだはての選択が自殺ということ

なぜ病気が増え、病人が国中にあふれるのだろうか

▶ 魂のデプレッションの問題

病人大国日本の現実を、あらためて問い直してみたい気持ちに駆られるのは、私だけだろうか

▶ 養生と宗教のあいだには

煩悩、親鸞はわかりやすく
身のわずらい、心のさわり

心身一如

身のわずらいを、人は完全に振り払うことはできない

激変の時代にあって頼りになるのは、身と心をととのえ、安定を保つことだろう

▶ 長寿とブッダの教え

平均寿命の統計
長寿率のトップ、宗教家
二番目、医者

大震災のあとで

▶ 言葉もなくおろおろと

前に訪れたことのある町が消滅している
記憶にある風景が一変している
知人の安否も気になるが、それどころではない虚脱感におそわれた

原発の情報の話

▶ 下山途中の生き地獄

想定外という言葉がしきりと使われているのが気になる

こんどの大震災は、下山途中に大きな雪崩に見舞われたようなものかもしれない

▶ 備えるということ

あわてて準備するときはもうおそいのだ、という感覚がある

ノスタルジーのすすめ

▶ 時には昔の話をのとき

加藤登紀子

▶ 古い記憶の再生装置

鋼鉄も、人間の体も酸化していく。サビるのだ。記憶もそうだ。思い出し、正確なディテールを語ったり書いたりすることでわずかに残る部分がある

▶ 流行りものと時分の花

普段きている服一つにしても、時代の刻印というものはある
言葉にしてもそう

▶ 靴は人生を映す鏡かも

革の靴の話

▶ ワラジと高下駄のころ

靴遍歴の始まり

▶ 1968年のパリの靴屋で

気に入った靴は、はきにはいて、はきつぶしてこその靴ではないか

▶ 日本人と西洋の靴

騎馬民族は足を突っぱる。農耕民は膝を曲げて移動する

所詮日本人には靴は無理かも

▶ 夏の夜の小さな娯しみ

寝苦しい夜
トンデモ本を読む
現実世界の反面鏡
黒白逆転し、画像がデフォルメされている

学者の説はたいてい後付け
だが、私たちが知りたいのは、この先どうなるか
50年、100年先ではなく、2、3年の先
→トンデモ本の登場

地動説だって、トンデモ本

▶ 真実は怪しさのなかに

選択本願念仏集夜船閑話

▶ 砂糖は甘く美味しくて

甘いものが旨いものの王座に君臨した時代は、たしかに遠くなりつつあるのかもしれない。

一方で、ほんな流行と関係なく人間世界に存在し続けるものがある
歌、物語、酒、演劇、ダンス

▶ 郷愁世界に遊ぶ楽しみ

現実とは、過去、未来をまるごと抱えたものである
未来に思いをはせて希望をふるいおこすことと、過去を振り返って深い情感に身をゆだねること、どちらも大した違いはないのだ

人が歴史にひかれるのは、そこにノスタルジーをおぼえるからである

郷愁に身を任せることは、それぞれの個人にとって、疑いなき真実の時間である

郷愁のタネはどこにでもある

考えてみれば、今の私たちの日々の暮らしも、人生という刑務所につながれて生きているようなものだ。一見自由でありながら、人は生にしばりつけられて生きている。せめて贅沢な郷愁くらいはこころゆくまで楽しみたいものだ

過ぎし日の思い出は甘美である。その甘美さは、決して後ろ向きの感傷ではない

今は還らぬ季節。それは還らざる昨日であるからこそ、貴重なのである。

おわりに

3.11後を、一貫して下山の視点から書いた作品
読了 4/10 12:37 全223ページ

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