あらすじ
縁、覚醒!? 「かな」編クライマックス!
大学のオープンキャンパスを舞台に熱き火花を散らす鈴里高校と鵠沼学園の両書道部!
「かな」の創作授業で発表された最終成績はあまりにも衝撃的で…!?
書道高校日本一・一条と柔道高校日本一・望月の幼なじみグダグダ初デートwithユカリ編や、毎年恒例! 新入部員獲得大作戦編をフル収録した「書」以外の青春グラフィティも超満載!の文化系青春コメディー第八巻!
ストーリーはもちろん面白いが、
書道について楽しく勉強できると言う点で とめはねっ! は大変すばらしい!
そんな とめはねっ! 鈴里高校書道部 8 (ヤングサンデーコミックス) からの学びを作中のセリフと知識に分けて書いていこう!
セリフ編
せっかく一所懸命、毎日毎日書いて書いて努力してるんだよ。ちゃんと形として報われたいと思うのは当然じゃないかな?(107頁)
これは、私はそう思わないという意味で記憶に残ったセリフ。
努力した結果と、それが報われるかは別問題。
私はエゴを超えた先で本当の賞賛や報酬は得られると思っている。
書道の臨書は、絵画のデッサンのようなものだから (187頁)
臨書の目的は突き詰めれば、古典の名作を観察すること。
細かいところまで正確にマネができたら、それだけ観察したことになる。
↓
どんなものにもつうじる基本を習得する上での極意のように思った。
知識編
学び(1) 変体仮名
変体仮名 - Wikipedia
変体仮名変体仮名(へんたいがな)とは、平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていないものの総称である。平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では、変体仮名は看板や書道など限定的な場面でしか使われていない[1]。異体仮名(いたいがな)とも呼ばれる[2]。
学び(2) 散らし書き
往来物講座
「散らし書き」のあらまし
学び(3) 継色紙
三色紙 - Wikipedia
継色紙
『継色紙』
『継色紙』(つぎしきし)は、もと粘葉装の冊子本で、多くの場合2ページにわたり、『古今和歌集』・『万葉集』などの歌を、紫、藍、赭、緑などに染めた鳥の子紙に1首ずつ書写している。現在はその本の断簡が軸に仕立てられ、1首完結するためにあたかも色紙2枚を継いだ形となりこの名がある。
『宇津保物語』に「男(手)にもあらず、女(手)にもあらず」と記された草仮名が、極めて自然な形で女手と巧みに交用され、また、「悪」(あ)・「盈」(え)・「祈」(き)・「倶」(く)・「致」(ち)・「帝」(て)・「廬」(ろ)など、後世の古筆切には余り見慣れない珍しい字母が使用されている[1]。
その書風は情感あふれた優美なもので、余白と点画・行の間隔や傾き・墨継ぎの妙など、心憎いばかりの空間処理で、実に見事な散らしである[1]。この散らし方の巧妙なことは、他の古筆に匹敵するものがない。何の苦もなく高低をつけ、4〜5行に書いているように見えながら、広狭浮沈・濃淡などのうまさがある[7]。漢字的用筆の残った「かな」は枯淡の境地を成立せしめ、極めて格調の高い作品である[8]。
明治39年(1906年)までは石川県大聖寺の前田家に16首半の零本(完全でない本)が伝えられ、この年に1首ずつに分割されて[9]、現在確認される『継色紙』の和歌は、1首が出典未詳のほかは、『古今和歌集』所収歌が27首、『万葉集』所収歌が6首である[1]。大きさは、縦13.1cm〜13.3cm、横25.0cm〜26.4cm。所蔵は、東京国立博物館、五島美術館、徳川美術館、畠山記念館、湯木美術館、逸翁美術館、MOA美術館、藤田美術館、出光美術館ほか、諸家分蔵。
半紙は縦に使うものという既成の概念を打ち破った大江くん(主人公)のかな文字創作作品の解説で登場。
学び(4) 潤渇
潤渇
潤渇
よく墨を含んだ筆で書いた墨量のある線(潤筆) と、 墨含みの少ない筆で書いたかすれた線 (渇筆) のことで、 この二つを組み合わせることによって、 特に行草書作品においては立体感や深みが表現できます。
学び(5) 篆書
篆書体 - Wikipedia
篆書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には西周末の金文を起源として、戦国時代に中国西北部に発達し、さらに秦代に整理され公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。
公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。
学び(6) 金文
金文 - Wikipedia
金文(きんぶん)とは、青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと(「金」はこの場合青銅の意味)。中国の殷・周のものが有名。年代的には甲骨文字の後にあたる。殷は青銅器文化が非常に発達した時代であり、この文字を器の表面に鋳込む技術は門外不出となっていた。
金文は『史記』のような後世になって書かれた資料とは違い、完全な同時代資料であるためこの時代を研究する上で非常に貴重な資料となっている。しかし殷代の青銅器は古美術としてもきわめて高い価値があるため収集家などがこれを所持することで一貫した研究が出来ないと言うことも起きている。
なお石などに刻まれた文章は石文と呼ばれ、一緒にして金石文と呼ばれる。またこれらを研究することを金石学という。
学び(7) 前衛書
前衛書道 - Wikipedia
前衛書道(ぜんえいしょどう)とは、前衛的に書かれる書道のこと。第二次世界大戦後に新しい芸術観に基づいて起こった革命的な書道芸術運動によって開拓された新しい書道の分野。運動の先駆者には主に上田桑鳩や宇野雪村、比田井南谷が挙げられる。その後、急速に発展し、現在では盛んに書かれている分野の一つになった。 「墨象(ぼくしょう)」とも呼ばれる。
森田 子龍(もりた しりゅう)
1912年豊岡市に生まれる。1932年頃より制作を始め、1937年、上田桑鳩の知遇を得て上京、「書道芸術」の編集に携わる。同年第2回大日本書道院展にて推薦金賞、特選銀賞第一席受賞。さらに翌1938年、第3回大日本書道院展でも推薦金賞受賞。日満支書道展においては文部大臣賞受賞と華々しいデビューを飾る。戦後は書の啓発普及、革新を目指し、「書の美」、「墨美」、「墨人」といった書雑誌を発刊、さらに同士を募り「墨人会」を結成、書壇に新しい風を吹き込んだ。中でも、「墨美」、「墨人」の発刊は書と国内外の抽象画家たちとの活発な交流を生み出し、森田氏の存在が海外でも広く知られるきっかけとなった。
表面的な字形に捕らわれない生命感にとんだ<墨象>という新しい世界を切り開いた森田氏だが、その根底には、書の根源的な伝統を求めて深く古典を学び、王義之、大燈国師らから受け継いだ高い精神力があったと言える。