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読者から読む愉しみをわずかでも奪うことがあってはならない |「ニッポンの書評」はタメ本

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photo by schani

このエントリーをはてなブックマークに追加ニッポンの書評 (光文社新書)

私も書評とタグをつけてブログを書いている一人なので、大変参考になりました。
書評と銘打ってものを書く人ならば一読して損はないでしょう。
本書を読んだことにより、私が書評を書く際に念頭におこうと決めた言葉は以下の3点です。

  1. 面白い書評はあっても、正しい書評はない
  2. 書評家の役割はこれは素晴らしいと思える作品をすこしでも多くの人にわかりやすい言葉で伝えること、橋渡し的存在である
  3. ネタばらし問題:「作者が読者のために仕掛けたストーリー上の驚きを、読者の注意を喚起するような書き方ならいざ知らず、オレはこのしかけに気づいたぜと手柄を誇示するがごとく明かす」のはよくない。読者から読む愉しみをわずかでも奪うことがあってはならない。

以降は、本書の私の読書メモです。

2011/04/20 11:45:30 ニッポンの書評

1.大八車(小説)を押すことが書評家の役目

書評家に要求されること

書評家
すでに政治新聞という凧のしっぽにぶら下がってふらふらしてる付け札のようなもの
ガター、本の内容を短く書き表す
書評家に残された仕事は鑑定家、可の場合は*を不可の場合は他の印をつけることになるだろう
ヴァージニア・ウルフ、書評についてより

面白い書評はあっても、正しい書評はない
著者がブックレビューを読んだり書いたりする際のスタンス

課題設定
書評の存在意義とは?
書評と批評の違いとは?
プロとアマの差
読み手より書き手が増える理由

批評家とはまったく別の存在
毎週書かなければならない足かせ
読んだ本の一冊一冊を優れた文学的価値の不変の基準に関連づけねばならないのか?そうしないといけないとすれば、書評は延々たる泣喚きになるだろう。図書館に本を借りにくる人々のことだけを考えて何を読んだらいいか教えてやればいいのか?そうしなければならないというなら、自分の好みのレベルを、さほど刺激的とは言えないレベルに隷属させることになるだろう。どうしたらよいのだ?
先人の愚痴。

新聞や雑誌の書評
与えられたスペースは300-1200文字
新刊が中心、時間は1週間から長くて1ヶ月
先人の愚痴は言い得て妙だと。

小説を大八車に例える
大八車の両輪を支えるのが、作者と批評家
そして書評家はそれを後ろから押す役割

たとえ新刊をあつかうにしろ、作者の過去の作品にまで敷衍し、一部のエリート読者以外には理解が難しいテクニカルタームを駆使して当該作品の構造を分析し、その作品がかかれる意味と意義を長文で明らかにする批評は作家にとってときに煙たい、しかし重要な伴走的役割

一方、書評家の役割はこれは素晴らしいと思える作品をすこしでも多くの人にわかりやすい言葉で伝えることである
橋渡し的存在である

批評との違い

批評は対象作品を読んだあとに読むもので、書評は読む前に読むもの

書評は読者の初読の興をなるべく削がない事が望まれる
いくら自分の読みの深さを誇示したくてもそれが作品のネタバラシにあたる箇所と関係があるのであれば断念せざるを得ない

批評は作品の肝たる部分にも触れる、そこに読者にとっては驚きや感動があるわけだが。

書評は窮屈な文芸ジャンル
・与えられる文字数が少ない
・締め切りまで間がない
・ネタバラシが許されない

乱視読者の帰還
1000字弱で3冊の本を紹介する困難に挑戦している
この形式が書評家の力量をもっともよく示す

書評に長さは問題ではない。問われるべきは密度、深さ。

2.粗筋紹介も立派な書評

書評講座にて

#池袋コミカルカレッジで講座

せずにすめばありがたいのですが

読者の年齢層や傾向といった媒体の性格など考えず、書きたい事を書くという書評観はあるが、著者は一人でも多くの読者に届けたい。届けるためには、わかる文章を心がけたい。
そのためには、
・媒体に応じて選書
・文体を変える事もいとわない

粗筋紹介で読解力が明らかに

粗筋紹介も評のうち
本の内容を正確に深く理解している書き手による粗筋紹介とトンチンカンな解釈しかできていない書き手の粗筋紹介はこれが同じ本について書いたものなのかというほど異なる

著者が書評を書くとき
指定枚数の倍以上まずは書く
そして、そこから削る
まず削るのは自分にまつわる部分
それでも削りが足りない場合は、
自分の言葉遊び、知識のひけらかしも削る

削りに削った末に残った粗筋と引用。それは立派な批評。
その彫刻を経ていない粗筋紹介なぞはウンコ。

著者の過去から一貫した書評観
1.自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するようなオレサマ書評は品性下劣
2.贈与としての書評は読者の信頼を損なうので自殺行為
3. 書評は読者にむかってかかれなければならない

読者がこの本を読んでみたいという気持ちにさせられるものであってほしい。

3. 書評の読み物としての面白さ

批判ってこういう形でもできるんだな!という新しい気づき

発見に満ちた書評というのがある

書評は情報である。なにが書かれているか内容がはっきりわかる書評が自分にとっては役立つのであって、評者の感想にはまったく興味がない。
→そういう書評の読者もいる

#読み物としての面白み、芸も、書評の重要な要素のひとつという意見

4.書評の文字数
スモールイズビューティフル、というわけでは決してない

フラフラした議論になっているが、面白い書評はあっても正しい書評はないという見知によるものと理解してほしいと。

短い文字数の弊害
・短い文字数の方が大変で苦労のある仕事。だが、短い文字数の方が、給料は安い。
・取り上げる本が備えている情報量に対して書評の文字数が見合わないという事

日本の紙媒体の書評のスペースは?

各紙、共通して言えること
ひとつひとつの書評に与えられている字数は少ないけれど、数は多い

2011/04/20 12:38:37 48まで。

2011/04/21 11:47:36 ニッポンの書評

5.日本と海外、書評の違い

書評と批評に長さの違いはない

丸山才一
ロンドンで本を読む
紹介の次に大事なのは、評価という機能
書評家の読むに値するかの判断を、読者のほうでは、掲載雑誌の格式や傾向、書評家の信用度を参照しながら受け入れたり受け入れなかったりする

書評家を花やかな存在にするのはまず、文章の魅力ゆえ。
三つの美質
・流暢
・優雅
・個性

紹介とか評価よりももっと次元の高い機能である批評性

書評に紙数が充分に与えられている傾向、世界的にみたらイギリスに限らない

本もまたニュースであることを考えると、書評は必ずしも日曜日の読書面とこだわることはない
三浦俊章

海外の書評は長い
政治関係、歴史関係そのものが長くて厚い
書評家自体がその本のエッセンスを掴みその上で短所長所を指摘し全体的所感をのべる

フランスでの書評の機能は討議による公論形式
複数の本を対象に評者自身の思索が展開できるだけの紙幅が与えられる

ネタばらし問題

現在の著者の見解
作者が読者のために仕掛けたストーリー上の驚きを、
読者の注意を喚起するような書き方ならいざ知らず、オレはこのしかけに気づいたぜと手柄を誇示するがごとく明かすのはよくない。読者から読む愉しみをわずかでも奪うことがあってはならない。

ウラジミール・ソローキンのロマンの書評

6.ネタばらしはどこまで許されるのか

サルマン・ラシュディが読んだ日の名残り

イギリスにおける具体例、与えられる文字数の多寡以外の日本の書評との違い

ラシュディの書評はこの長編小説の悲劇性を指摘することが的確すぎて、優美な整いを充分に述べていない憾みがある

イギリスの書評界においては粗筋紹介もごく普通。書評と批評の垣根は低い。というかほとんどない。

ジョン・ベイリーが読んだ存在の耐えられない軽さ

7.ネタばらし問題 日本篇

絲山秋子、ばかもの評をめぐって

年配の評者は日本でも平気でネタばらしをする
200809-12の新聞をみて。

ミステリーブームが起こった80年代以降にネタバラシにうるさくなったという仮定

絲山秋子のばかもの評、榎本正樹、一から十まで粗筋を明かしていた

長い時間と迂回と痛苦の体験を経て、ばかものと言い合える関係を彼らは獲得する
ばかものとは愛の言葉であり、信頼の言葉であり、絶対的肯定の言葉である

平田俊子、20081109、日経新聞の書評を絶賛。
量より質を実感。
書評の読み比べ。

8.書評の読み比べ その人にしかかけない書評とは

読者の読みたいを引き出せるか

ばかもの評をさらに比べる
高橋源一郎
旬の文学 噂の一冊を読む
200812

芸がなくてつまんない上にネタばらしではダメ

[ ]伊坂幸太郎 モダンタイムズ
小さなもののために働くんだ、世界の悪と戦う勇気はあるか?とこの作品は、我々読者に問いかけているのである

同じく、モダンタイムズ
週刊文春の佐藤優の原稿
21世紀半ば過ぎ、日本の都市を舞台にしたアンチ・ユートピア小説だ
と粗筋をすまし登場政治家の国家論と
[ ]ヘーゲルの歴史哲学講義
との共通点をあげ、作品中、絶対という断定がつく占いをめぐる謎解きにインテリジェンスの世界を重ねている

わたしが書いた古川日出男、聖家族評

9.援用は両刃の剣 聖家族評読み比べ

わたしの考える優れた書評

ここにまともな読解力のある1000人の評者と1000人の読者がいたとして評者のうち500人が900人の読者を間違ってはいないよねと頭で納得させる書評がかけるとしても、心からすごいと感服させる書評を書く能力があるのは20人。その打率が3割を超えるのは2人。そして1000人全員を納得させるられる評者はいない。
→優れた書評はある程度普遍化できたとしても、絶対的なものではない

2011/04/21 12:38:52 97まで。

2011/04/22 11:44:37 ニッポンの書評

罪のない援用

援用をしたいときには、それが牽強付会になっていないか、なるたけ第三者の目となってチェックするようにする
またオレオレ自慢になっていないかにも気をつける

援用の傑作

越川芳明
すばる
200812

牽強付会な援用

文學界
200812
陣野俊史

書評は自分のための備忘録じゃない

10.プロの書評と感想文の違い

背景があるか

書評するのはその一冊でも、その他のたくさんの本を読み込んでないといい書評はかけないのですね
学生の書評に対してある作家

プロの書評には背景がある
本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識がある

ここの本がもっているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけられる

[ ]カルメン・ドック

返り血を浴びる覚悟はあるか

書評ブログという地雷を踏んでみる

匿名のブログやAmazonのカスタマーレビューでなぜ他人様が一生懸命書いた作品をけなす必要があるのか?
顔を見せずに他人を批判するのは卑怯。
単なる誹謗中傷という考え。

#批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立する

[ ]幻滅

ツルハシの一撃となるような書評は読まなければ、精読しなければ、決してかけない。
高いリテラシーと有名性を備えて始めてツルハシの一撃は成立する

匿名の書評ブログは守られている
素人の原稿を勝手に引用するのには問題があるため、引用をしていない

#匿名の書評ブログをやるならば、今後は愛情をもって紹介できる本のことだけ書いてはどうかという提案

#自由の怖さや自由が内包する不自由さを自覚しない人間はただの愚か者

11. Amazonのカスタマーレビュー

営業妨害

20090217
アサヒコム
アマゾン、消された書評 著者・水村さん 公正さ疑う
800字越えの肯定的なレビュー削除
規約違反だと
氏の著書の営業妨害、好意的な評を消すべく報告をクリックし続けた連中に向けられるべきだが、そういった連中は匿名の陰に隠れているので炙り出せない

悪意の垂れ流し

好き嫌いだけを指標にした感想文以下の文章を垂れ流す人が、Amazonのベスト100レビュアーだっていうのだから、レビューというのは世間的にかなりナメられたジャンルということを再認識
:人が認定しているのではなく、レビュー数等、内容を指標にしたレビュアーの評価をしていないための弊害でしょう

[ ]ロコモーション
に対する下品なタイトル付きの駄文
粗筋紹介もひどければ、文章も稚拙。しかもネタばらし。

自分が好きな作品だけを書いて欲しいなどというとんでもなく上から目線の無理の押し付け

自分が好きではないもの、理解できないもの=駄作と思うのは勝手

Amazonに対するリクエスト
参考になったか?の数から参考にならなかったの数を引いてレビュアーのランクをつけたらどうかと。

#精読と正しい理解、面白い誤読の上で書かれたまっとうな批評なら作者や読者に届く

12.新聞書評を採点してみる

特A-Dの五段階評価

新聞主要六紙
書評の専門家によるものはたったの五本
圧倒的に多いのは大学の先生
・各ジャンルの専門家が必要
・権威づけ

D評価の理由

D…取り上げた本の益になっているどころか、害をもたらす内容

C…書評になっていない。
・文章表現が稚拙ないし、言葉足らず、説明不足で何を言いたいかわかりにくい
・どういう理由があるかわからないけれど、対象書籍から逃げ腰になっている
・あれこれかきたい要素を詰め込みすぎて、ひとつひとつのおすすめポイントが全部ぼやけてしまっている
・論文のような専門用語の多い堅いばかりの学者文章に辟易させられる

B…文章や紹介の仕方自体に魅力があるわけではないのだけれど、原稿料をもらっていいだけの水準には達している

A…もしかすると、取り上げている本を凌駕している可能性すらある傑作書評。トヨザキが100回生まれ変わっても書くことができないレベルの著者にとっては悔しい書評

800字のスペースを粗筋紹介で終始してしまう傾向

小野正嗣
デニス・ジョンソン
ジーザス・サンの書評がA

2011/04/22 12:38:38 146まで。

2011/04/25 11:58:02 ニッポンの書評

13. 1Q84 1,2 巻の書評読み比べ

あえて、わたしが書かない訳

村上春樹作品の中ではとりわけ出来のいい小説ではないという感想ゆえ
むしろこの手の作品には批評こそが必要
作品という大八車を後ろから押す書評の役割は必要のない作品だから

出た!ネタばらし書評

[ ]オーウェルの1984

北海道新聞、黒古一夫
750字のスペースでよりによってストーリーの結末を明かす
本人のブログにアップデートされている
1Q84を読了した上で興味があればチェックしてみて欲しいと。

14. 引き続き、1Q84の書評をめぐって

やむなく、わたしも書いてみた

大勢の村上ファンは、さあ、これから読むぞ、とばかりに胸踊らせている状態にあるはずなので、ストーリー上の感動や驚き、オチに直結するような要素には触れていない。
出だしに気をつけている。
書き出しで、ん?、と注意を惹く

自分の土俵に書評対象の本を無理やり引っ張り込み、相手が無抵抗なのをいいことに自分の得意技でうっちゃる、そういう蛮行をふるうタイプの書き手、そんな輩を優れた書評家と著者は思わない。

著者のメッセージは、ネタバラシをしなくとも可能という見地

15.トヨザキ流書評の書き方

一番最初にするのはカバーを外すこと
本体の方が読みやすく、カバーを汚したくない

次に付箋を用意
スリム出しミニ
それをさらに小さくする
本を読む前に、小さくカッターで切った付箋を見返しの左上に貼っておく

本を読みながら使うのは三色ボールペン
赤と黒をメインで使う
気になったところを赤で鍵カッコする
1.ストーリーの展開上重要と思われる箇所
2.登場人物の性格や特徴を端的に示す情報
3.年月日、年齢と言った数字
4.引用するのに適当と思われる文章
5.自分の心にしみる表現

いざ、書評を書く段になったら、付箋をしている箇所だけをもう一度読み返す

そのそれぞれのページで小さな白い紙に脳内のざっとした書評の見取り図をつくっていく

格好はつけない
初読は気になった箇所にどんどん印をつけたほうがいい
初めて読む本にここぞのポイントなぞわかるわけがない

書評を書く際、一番気を使うのは書き出しの部分
読者は最初の一、二行で、その記事を読むかどうか判断する

対談 ガラパゴス的ニッポンの書評 その来歴と行方 豊崎由美x大澤聡

@sat_osawa

書評は誰のものか?

読者に益するものか?作者に益するものか?
読者の伴走者

出版大衆化と書評ブーム

1920年代、円本ブーム
出版洪水の交通整理
インフォメーション機関の必要性
日本の書評はまさに読者のためにこそ誕生した
一般の人に本が届くようになった時点で書評が求められる

2011/04/25 12:37:03 186まで

2011/04/26 11:40:01 ニッポンの書評

書評という呼び名の起源

大正末から昭和初年代
1929までさかのぼれた、植田康夫

書物評論、新刊書批評という言葉があったくらいなので、略語かもしれない

出版の大衆化の時期に相当する頃に生まれた?

ブックレビューという言葉の定着

書評家という職業は可能か?

権威っぽさに違和感
→家がつくと途端に

やはりだれでもかけてしまうという雰囲気

書評の長さの問題について

批評に対して書評が下というイメージ

書評は短くて批評は長い。書評を長く書けば、批評になると思われがち

歴史的に両者は分化し、別個のものになった
宛先も違う
まったく別の能力が求められる

文字数が少ないからこその労力。長ければすごいというものでもない。

[ ]ロンドンで本を読む

文章修行のための書評活用術

800字なら800字そのままのサイズの内容しか書けないのではダメだと思う
その背景には4000字書けるほどのその本や著者に対する知識なり過去の作品への読書経験が必要。

なくなく削った800字と四苦八苦ようやく埋めた800字とでは全く違う

密度とコストが違う

読了後になんでもいいから書くようにしてみなよ
その際に分量制限を設けることが大切
制限のないネットだからこその足掛けをしてみる

自由に文章を表現する経験をする場として中高の学校教育に書評をとりこんだらどうか?

出版の大衆化から、今度は書評の大衆化が起きている

余は如何にして書評家となりし乎?

文書修行の場としての書評

ライターから書評家への毛色
新聞書評欄へのささやかな提言

新聞と出版という組み合わせを一度疑ってみることも必要

書評は広告か問題
褒め評でないと載せない
書評なんか信じないを生む温床

書評の機能
インフォメーション機能
クリティシズム機能

イギリスやアメリカのいわゆる高級紙の書評
新聞に挟み込みする形式
それだけで分けられる

ニューヨークタイムズ・ブックレビュー

もっともっと批判的書評を!

書評発の討論を生む
褒めるより批判する時のほうが字数をくう。
悪書の書評を認めてもいいと思う。
書評批評も必要

余力なき時代だからこそ、変える勇気を

書評を書く人間の流動性も必要

書評集の存在意義

速報メディアという位置づけ
ネットにその存在も脅かされる

[ ]読書法
選書の時点からもう批評が始まっている
書評という形式を利用することで時代を診断したり社会を動かしたりできる

書評はどう評価されるべきか?

[ ]ブックレビュー 誘う書評・闘う書評

理想の書評家たち

川本三郎
戸坂潤
植草甚一
淀川長治
高橋源一郎
内田魯庵

粗筋を軽んずるなかれ

一行たりとも読み飛ばさない、それが書評の基本

ネットで書評をするものへの提言
適当な粗筋を書いたとしてもそれを読んでその本を買う買わないを決める人は多少いる
粗筋がことなる、登場人物の名前が違う、役割がことなるといったずさんな書評がどれだけ作家の邪魔になるかを考える
ネット書評にも責任はある

ガラパゴス書評!?

ネタバレに対する日米間英のちがい

米英軍は、書評に対して超訳としての期待がある

ゲリラ的書評の倫理

どんな本を選び、どのように紹介し、どうやって褒め、批判するか、その全てに書き手の教養やたましいのありようがあらわになるのが書評。

わたしが何を正しいと思い、どういう行為や考えを下品だと思っているかが全部出る

物書きには矜恃が必要。

2011/04/26 12:24:05 読了