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他人は自分と違う前提に立てないなら多様化していく社会では生きていけないだけ。

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 はてなブックマークのコメントというのは結構ふしぎなもので、あまり深い意味もなく思ったことをコメントしていると意外とはてなスターがつくことがある。

『LGBTが気持ち悪い人』の感覚―「理解」と「罪」の認識のズレ - 宇野ゆうかの備忘録

“ 「いや、そこ、理解しなくても良くね?」と思った。” これに尽きると思っている。他人は自分と違う前提に立てないなら多様化する社会では生きていけないだけ。それも理解できないだろうから放っておきましょう。

2018/04/09 07:13

“ 「いや、そこ、理解しなくても良くね?」と思った。” これに尽きると思っている。他人は自分と違う前提に立てないなら多様化する社会では生きていけないだけ。それも理解できないだろうから放っておきましょう。 - garage-kidのコメント / はてなブックマーク

 こんな需要があるのかどうかはわからないが、ちょっとだけこのコメントに補足をしておきたい。

 基本的にわたしは他人と自分は違うという前提に立ってモノゴトをみるようにしている。だから、たとえば件のエントリに引用されていたような「ゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。『だって自分と同じ体をしているんだよ? それで興奮するの?』と」いう考え方をわたしはしない。

 自分と他人は違うものであるので、自分と違う考えや発言、行動を行う相手のことを、わたしはそういう方であるという理解をする。自分と違うから理解できない、理解できないから気持ち悪いということにはならない。

 ちなみに相手のことを理解できないから気持ち悪い、気持ち悪いから「気持ち悪い。」とわざわざ主張しなくてもよいことを主張する(これを差別というなら差別というのだろう)類の人たちは、これからよりより多様化していく社会において生きるのがとても苦しくなっていくであろうと思われる。そういった自分と他人は違うものという前提に立って物事を考えることができない人びとは今後どうやって社会を生き抜いていくつもりなのだろうか、と素朴に疑問に感じてしまう。

 「自分と他人は違うもの」という前提に立てない人びとの集団というのは横並びに同じ意見の人だけ集めた集団となるものだろうとわたしは思う。

 横並びに同じ意見の人だけ集めた集団などというのは柔軟性に乏しいし、伸びしろも少ないだろうとわたしは思う。しかし、同じ意見の人ばかり集まると、そういう発想にも行き着かないであろう。

 だから、わたしは「自分と他人は違うもの」という前提に立てない人にはあえて「それは違う。」といったことを言ったりして事を荒立てようとは思わない。「違う。」という意見を理解できない人びとに「違う。」ということを言っても理解できないからだ。

 ただ放っておけばよいと思っている。

 なぜなら「自分と他人は違うもの」という前提に立てない人びとは放っておいてもこれからの社会の変化についてゆけず自滅することだろうと思うからだ。

(了)。