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村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチには憤りしか感じなかった

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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)



村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下) - 毎日jp(毎日新聞)



昨日、たまたまテレビを視聴していたら、村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチの映像が流れてきた。
滔々と語られる日本批判に私は、非常に腹が立った。

話の主旨は、日本だけでなく、世界中のすべての国々に対して、
安直な判断で原発を推進することの危険
を訴えたかったのだと思う。
このことに関しては、もっともだと私も思う。

しかし、その訴えをするのに、なぜ、
より多くの人に訴えることのできない言語(日本語)で、
日本人を「あきらめの世界観をもったあまり腹を立てない民族」などと批判しなければならないのか?
そのことに大きな憤りを感じた。

本当に世界に安直な判断で原発を推進することの危険を訴えたかったのであれば、
日本の批判などはまじえず
より多くの人に訴えることのできる言語(たとえば英語
で訴えるべきだ
※自国の国民の批判を、するなら自国内ですればよい。海外で、しかも日本語で批判するのは、むしろ海外の方にとっては奇異に映ったに違いない。村上氏自身にとっても恥である。自分で自分の国のことを貶めるのは日本人の悪い癖だと思うのだ。
※このスピーチの目的そのものが、日本人に対する批判が目的で、それゆえに日本語でスピーチが行われた(村上氏は英語が堪能だから)という人もいたが、もしそうなら余計に私にはまったく理解不能なスピーチだ。世界の聴衆を前にして自国を貶める意味はない。先にも書いたとおり、自国の批判なら自国の内ですればよい。

Japan tsunami and earthquake: Pictures of recovery 3 months later | Mail Online



一方、

海外メディアで紹介された上述のような記事を読んで私が感じたのは日本人の力強さだ。

日本人は決して
「あきらめの世界観をもったあまり腹を立てない民族」
などではないということを私はこういったところから感じる。

無常の意味合いはたしかに「常なる状態はひとつとしてない」ということだが、
これは、それ(無常)を「あきらめの世界観」などという解釈をしている日本人がほとんどいないという証拠ではないかと思う。

すくなくとも、私は無常のことを、
物事に挑戦、改善していこうという前向きな気概を生む世界観だと思っている。
(常なるものはないからこそ、今あるものに執着しない→挑戦、改善につなげる)

前向きな観念をもつからこそ、この3ヶ月という短い期間で、ここまでの復興をとげられると思うのだ。

最後に、

今後、発言力のある日本人の方が海外でスピーチをする際のお願いがある。

まず、海外で日本人の批判を日本語でしてこないでいただきたい
そして、
日本人は、東日本大震災からの復興を信じられないほどのスピードでとげつつある力強い民族であるということ、
そして、その力強さゆえに、今後、核の代替エネルギーを開発していく上でも世界をリードしていくことのできる存在になれる、
ということを力強く発信してきてもらいたい。

同じ国に住む者同士が批判し貶めあう恥ずかしい民族だということだけは、世界にアピールしてこないでいただきたい。