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バガボンド(33)と自分を照らし合わせて

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バガボンド(33) (モーニングKC)
バガボンドを読んで、自分と照らし合わせる人は多いのではないでしょうか?
私もその1人です。
バガボンド(33)の中から自分と照らし合わせて感じたことを数点、記しておこうと思います。

今日のお前は今日作るんだよ。

#288 小倉
又八の言葉、
今度こそ小次郎に皆伝目録を届けようと小倉へ向かうときに。

「自分」が認知して世界は始めて「始まる」、「存在する」という哲学的な考え方ですね。この考え方を持つことができるようになると、何事も今「始める」ということができるようになります。「今」、自分の「世界が始まった」と考えることができるようになるからです。

無駄が多すぎるということ。話にならん。

#293 靄
武蔵の言葉、
一乗寺下り松の戦いで右足を負傷した武蔵が、ずっとその右足をかばい続けてきたことで、左腰の鈍痛をまねいたことに気づいたシーンでの一言。

私の最近の仕事はもっぱら RDBMS の性能検証なのですが、そういった性能検証などをやっていると、しょっちゅうこういったことを感じます。無駄が多すぎる。話にならん、と。あるときは、繰り返し検証することはないだろうと、仕組み(スクリプト)をつくらずに検証をしたときに次の機会ができてしまったとき。またあるときは、スクリプトを組んでみたはよいが、つくりがよろしくなかったために、ちょっと違ったケースでは使い勝手が悪かったりしたとき、など。

俺はまだ強いのか?

#293 靄
武蔵の言葉、
森の中で剣を振る武蔵の一言。

私は自分自身を成長させ続けたいと思っている人間なので、仕事をしたり、書籍を読んだり、勉強したり、としているときにこういったことを思ったりします。自分はまだ成長し続けているのだろうか?それとも停滞してしまっているのだろうか?少しでも自分は先に進んでいるのだろうか?、と。私の場合はそれを測るために仕事の質があがってるか、過去の仕事と今の仕事を比較してみたり、資格試験を受けてみたりとしているわけなのですが。「自分はまだ強いのか?」、進めば進むほど疑問に思うものです。

戻る真ん中は同じだ。

#293 靄
下総で武蔵が世話になっていた仏師の親父さんが、武蔵に向かって言った一言。

バガボンド(29)で沢庵の言っている「心に抱く天」に通じる内容。戻る真ん中とは、私は、自分自身で「有る」ということだと思っています。自分で「有る」ということは決まっているわけですが、そこから何を選んで何をしていくか、それは自分自身の判断によっているわけです。判断は自分の自由です。自分は失わないが、自分は自由自在、無限に変化できる。「心に抱く天」を私はそのように解釈しています。つまり、確固たる自分を持つことができたなら、周りからどんな影響を受けようとも揺らぐことはないということはないということ、そして、一見矛盾するようではありますが、そういう確固たる自分を持っていると自分を変えることも容易ににできるようになるということだということです。

あきらめろ。あきらめたら、そこで闘いは終わりだ。

#294 あきらめ
仏師の親父さんの言葉、
下総を出て行こうとする武蔵に向けて。

スラムダンクの安西先生の「あきらめたら、そこで試合終了ですよ。」とは対極。下手なこだわりをもって進む先を見失うくらいなら、あきらめることで、新しい選択肢を選べることも確かです。私などは、大変に不器用なので、一度取り組んだことに見切りをつけることはなかなか難しいのですが、、、。

何を始終ムスッとしてるんだい。自分を責めているのかい?

#294 あきらめ
仏師のおかみさんの言葉、
武蔵に対して。

私も人からみたら始終ムスッとしていることだろうと思います。エゴイストな私は、弱点すらなくしたいのです。武蔵のように自分を責めているのかもしれません、「認識している自分の弱点を変えようと思っても変えられない、許すまじ、自分」、と。最近は、「自分の強みを活かそう」といったことがよく言われていますが、強みを活かすだけでは、成長できないと私は思っています。いつかは自分を許せるようになりたいと思っていますが、今しばらくは私も武蔵のようにムスッとし続けているのでしょう。

俺もお前のようであれたらと、何度も思ったよ、おつう。

#294 あきらめ
仏師のおかみさんにいい人はいるのか?と聞かれた武蔵が心の中で思ったこと。

相手のようになりたい。そういう相手と伴侶になれることは幸せなことなのだろうと思います。なぜなら、そう思えることは、お互いの足りない部分を補えあえる関係なのだろうからと思うからです。