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ブタがいた教室 【0点】※ネタバレあり

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あらすじ

大阪の小学校で実際に行われた授業を妻夫木聡主演で映画化。1年後に食べるという約束でブタを飼い始めた星先生と6年2組の生徒たち。だがPちゃんと名付けて世話をするうち、生徒たちの胸にさまざまな感情が芽生え始める。

所感

妻夫木聡演じる教師の未熟さ、いい加減さ、無責任さの強い印象が残る作品。
テーマは大変重要なものである思うが、ストーリーは最低である。
よって0 点である。
だが、ひどいだけに学ぶことはあった、それが以下の2点である。

1.目的を見失ってはいけない

命の大切さを学ぶため、自分たちの手で育てた豚を食べるという授業は、私はとても有意義な授業である思う。私たち一人一人の生命が多数の他の生命の犠牲の上に成り立っているということを実体験できるうからだ。
しかし、この授業をやるからには、その授業の責任を負うべきはその先生であるはずである、生徒であろうはずがない。本作中では、生徒が豚に情が移り、豚を食べたくないという意見が出始めるや、妻夫木聡演じる教師は豚をどうするか決めるのは飼うことを決めた生徒であると、責任を丸投げする*1
豚を飼うということを生徒が承諾したからといって豚の処遇をどうするかという責任を生徒に負わせるというのは筋違いだ。豚を飼い始めた目的が生命の尊さを知ることにあったからだ。そして、その目的を果たすために途中で方針を変えるべきではない。また、方針を貫徹するための役割を果たすのは教師の役目である。
豚を食べるということの是非も問うべきことではない。豚を食べることにより、生徒たちが抱いた感情に意味がある。この教育に対して、反感をもつのであれば、その後の人生の中でその生徒が理不尽だとおもったことを解決するためには何ができるかということを考え、行動することを促せばいいのだ。
以上にみるように授業はグダグダであったと思う。目的を見失ってしまっていたことが一番の原因であったと私は思う。

2.期限を決めることの重要さ

そもそも豚を食べる是非を問う必要性がないことは、先にも書いたのだが、作中で豚を食べるか食べないか、生徒が卒業する3日前まで決まらないのだ。小学校6年生という時間は、小学校生活の集大成であり、進学の岐路である。その時間を妻夫木聡演じる教師はいったいなんだと考えていたのだろうか?本当に生徒のことを思うならば、ここでも目的を大事にし、豚を食べる是非を問うのにいたずらに時間をかけるべきではなかったといわざるをえない。
※蛇足になるが、豚を食べるか否かの是非を問うのに多数決で決めたことも私は気に入らない。是非を問う問題ではないのだから、なおのことそのときは教師が決めるべきなのだ。それが授業を始めた教師の責任である。

*1:作中、あとになってあえて自分が豚を食べるか否か意思決定しないでいたなどとぶったことをいっているのだが白々しいにもほどがあるものである